情熱と工夫で、
昭和初期の名作建築を再生。
アイウエオ
カキクケコ

●施工物件名称

後山山荘

●用途

別邸

●所在地

広島県福山市鞆町

●竣工年

2014年
(C)上田宏

昭和初期の鞆別邸を、現代建築家が受け継ぎ再生。

瀬戸内海国立公園のほぼ中心にある自然景観と歴史の町、鞆の浦(広島県福山市鞆町)を一望する高台に位置する「後山山荘」は、建築家・藤井厚二(1888-1938)が兄・与一右衛門のためにつくった昭和初期の鞆別邸です。
後山山荘は、藤井厚二の京都・大山崎「聴竹居」と同じデザインのサンルームがあり、天井に排気口があるなど藤井厚二自らが興した環境工学の考えを示している建築です。大和建設株式会社が施工全般を担当しました。

主要担当者:柏原(左)・矢野(右)

車道がない。重機が入らない現場。

この現場の着工前の状態は、崩壊寸前の昭和初期に建てられた別邸がありました。この建物は、福山出身の建築家・藤井厚二氏によって設計された築80年以上のものであり、かの「聴竹居」とも共通する要素が織り込まれた名品であることから、現存していた柱や梁、建具を使いつつ再創造するというプロジェクトでした。
残された建具を全て再利用しようと洗い出していき、全てを採寸していきました。不足のものは新しく作り、欠損しているものは部分的に修理し、パズルのように複雑な組み合わせをしての作業でした。さらに、柱を根継したり、屋根の野地板や海布丸太をクリーニングするなどして再利用を図り、踏襲できるものや技術は継承し、壁材の土なども残していきました。

地域の協力を得ながらの工事。

またこの現場は鞆の浦を一望する山の中腹に位置し、軽トラックすら通れない程の道しかなく、材料の運搬・荷揚げには地域の方々の協力を頂きながらの工事でした。現場への進入口となる既存の階段を残したい、との設計事務所の強い意向もあり、重機の使用も難しい状況でした。そこで通常は瓦工事で使う、屋根上に瓦を上げる機械を用い、現場下の崖から材料搬入を行いました。基礎コンクリートの打設では、道路から現場まで高低差が10m以上ある上に時間の制約もあったため、施工においては様々な面で創意工夫を行いながらの工事でした。

(C)UID

当時の建築を再現するために。

通常の新築の現場では考えられないような非常に厳しく特殊な条件下での工事でしたが、地元福山鞆の浦の地で、近代住宅建築の名作として名高い「聴竹居」同様の別邸の再生工事をやり遂げたことは、建築に携わる者としても非常に誇りに思うとともに、大変貴重な経験となった工事でした。

新たな役割を与える仕事。

リフォーム、リノベーション、古民家再生・・・等々、当社でもいろいろな案件を手掛けてきましたが、再生工事のなかでも、今回の工事は崩壊寸前の建物再生というかつてないプロジェクトの中で、当社の社訓である「仕事に情熱と工夫をかたむけよう」のことばのもと、設計事務所、協力会社、職人たちすべての関係者と意見を交換しながら、随時現場で施工方法を決定しながら完遂した工事でした。